平成19年3月15日


旧三井三池炭鉱 有明坑施設群の保存要望書

                      〒836-0842 大牟田市有明町1-1-11
                      NPO法人 大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブ
                                     理事長 中 野 浩 志
                              (連絡先0944-52-7026)

 桜のつぼみも日ごとに大きくなる今日この頃、貴社ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、私たちNPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブは、「炭鉱のまち」の風景・心象を次世代へ継承することを目的とし、保存活用の活動を行っております。このたび、貴社が購入された旧有明坑に関する記事を新聞紙上で拝見いたしました。
下記のとおり、旧有明坑施設群につきまして緊急に要望を提出いたしますので、何卒よろしくご検討いただきご回答よろしくお願い申し上げます。



要望1. 旧有明坑施設群の当面の解体凍結と保存活用の検討

要望2. 保存活用が困難と判断される場合、施設解体前に当ファンクラブや市民の撮影会等の実施及び一部部品の石炭産業科学館への寄贈

<それらの理由>
・三井三池炭鉱閉山時の記念碑的坑口であり、地域のランドマークであること
 平成9年3月30日の旧三井三池炭鉱閉山の際に、最後まで鉱員・職員が入昇坑した坑口が旧「有明坑」です。閉山時には多くの報道陣が取材し、最後の三池炭鉱の様子、特に立坑施設の巻揚機稼動の様子や出入りする鉱員・職員を映し出し、「閉山」の象徴的な舞台となりました。「三池炭鉱最後の坑口」として、歴史的な記念碑的価値のある坑口です。また、地域住民にとっては大牟田・みやまのランドマークとしても親しまれています。

・歴史的・技術史的に貴重な産業遺産であること
 三井鉱山系の有明炭鉱鰍ニして、昭和42年、2つの立坑と鋼鉄製の立坑櫓が竣工しました。第一立坑やぐらが台形、第二立坑やぐらがZ型をしており、国内で現存する立坑のセットでは唯一の形式です。三池炭鉱関連施設群として、九州・山口近代化産業遺産の一部としてユネスコ世界遺産登録への動きがある中、有明坑は竪坑やぐらと周辺施設が残っている坑口施設として大変重要です。

・産業遺産としての活用が期待できること
 上記のとおり、旧有明坑は歴史的・文化的価値があり、それを、歴史公園やランドマークとして、産業観光や歴史学習等に活用できると考えてきます。地域の人々に「炭鉱があった」という記憶を蘇らせるきっかけは、やはり坑口施設など、「そこ」に現存する様々な産業遺産群です。保存活用する場合は、維持コストはかかるものの、産業遺産としての産業観光収入と地域発展により、長期的により多くの収入が得られる可能性もあるのではないでしょうか。

 以上のことから、貴社におかれましては、ぜひとも、解体を思いとどまっていただき、旧有明坑施設群を保存され、産業遺産の場所として、教育や観光や地域づくりに活用されることを切に望みます。そのための協力は我々も惜しまない所存でございます。しかし、それが困難な場合、少なくとも解体前の写真撮影会を実施する等、有明坑に強い思い入れのある人に最後の別れを共有する機会を提供していただければと思います。
 以上、よろしくお願い申し上げます。
旧三井三池炭鉱 旧有明坑の第一・第二立坑施設群について
NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ
理事 永吉 守
1.歴史的経緯
 旧有明坑は、1958(昭和33)年、日鉄鉱業鰍ェ三池郡高田町地先に人工島を竣工し、立坑を掘削したことに始まります。1967(昭和42)年、2つの立坑と鋼鉄製の立坑櫓が竣工しましたが、断層や大量の湧水により、開発が中断されていました。紆余曲折ののち、1972(昭和47)年、三井鉱山が買収、子会社の有明炭鉱鰍ニして、1974(昭和49)年に着炭に成功、1976(昭和51)年から出炭を開始しました。翌1977(昭和52)年、有明炭鉱と三川鉱を結ぶ連絡坑道が完成し、三池炭鉱は、四山鉱、三川鉱、有明鉱という三鉱体制となりました。1984(昭和59)年1月18日には坑内火災事故により死者83名・CO中毒患者16名という残念な事故も発生しました(近隣の山に事故犠牲者慰霊碑があり、ファンクラブが草刈清掃を毎年やっています)。有明坑は1987(昭和62)年に「有明鉱」から「三池第二鉱」に、さらに1989(平成元)年からは三池第一鉱と統合し「三池鉱」となり、人員昇降坑口を一本化(三川坑は資材の昇降・揚炭の機能)しました。1997(平成9)年3月30日、旧三井三池炭鉱は閉山しました。その際に、三井石炭鉱業且O池鉱業所の「三池鉱」として最後まで鉱員・職員が入昇坑した坑口が旧「有明坑」です。閉山時には多くの報道陣が取材し、最後の三池炭鉱の様子、特に立坑施設の巻揚げ機稼動の様子や出入りする鉱員・職員を映し出し、「閉山」の象徴的な舞台となりました。「三池炭鉱最後の坑口」という意味において、歴史的な記念碑的価値のある坑口です。このように、旧有明坑は、ある種数奇な運命をたどった坑口であり、同時に、昭和50年代から閉山までの主力坑として、存在していましたので、それだけ多くの現在いらっしゃる元炭鉱マンや市民に親しまれた坑口でもあり、歴史・文化的価値を有しています。

2.スペックと景観(ランドマークとして)
 2つの立坑櫓は、第一立坑櫓が台形、第二立坑櫓がZ型をしており、いずれも旧三池炭鉱の既存施設にはない独特の形式の立坑櫓です。第一立坑櫓はユネスコ世界遺産となった、ドイツのツォルフェライン炭鉱第12立坑やボッフムの石炭博物館となっている立坑櫓と形が類似しており、第二立坑櫓は旧池島炭鉱の立坑櫓に類似しています。それから、技術として立坑(や斜坑およびトンネル)掘削の際には通気確保のため、必ず2本の平行の坑が掘削され、それを多くの炭鉱では2本とも利用しています。三池炭鉱の遺構で2本とも坑口が残っているのは、この旧有明坑のみです。それも、巻揚機や周辺の労働者のための施設も含めてシステムとして遺されています。そういった技術史の生き証人として旧有明坑はとらえられます。
 また、旧三池炭鉱の周辺地域住民にとって、有明坑の2つの坑口は、地元のシンボル、ランドマークとなってきた部分があります。特に、柳川や佐賀方面から大牟田・荒尾方面に帰省する際、あるいは福岡方面から西鉄電車で帰省する際に、見えてくるものであったので、有明坑の2つの立坑櫓がみえると「地元に帰ってきた」という安堵感に包まれるものです。そうしたランドマークとして保存されれば、旧有明坑を見ている方々がたくさんいらっしゃることに思いを馳せることは、地域文化の発展に寄与するものと考えます。宮原坑跡、万田坑跡ほかが国の重要文化財・史跡や登録文化財、そして昨今注目されている九州・山口近代化産業遺産の一部としてユネスコ世界遺産登録への動きがある中、旧有明坑はそれらの遺産群を補完する施設として大変重要だと思います。
以上。
旧三井三池炭鉱 
有明坑施設群の保存要望書
2007年3月20日
■コガ信工業有限会社
代表取締役 古賀信義様
             有明坑竪坑櫓保存要望書

                           九州産業考古学会 会長 木元富夫
                       九州伝承遺産ネットワーク 会長 坂本道徳


拝啓 時下ますます御清祥のこととお慶び申し上げます。
 私ども九州産業考古学会は、九州にあって歴史的に貴重な産業遺産の調査研究および保存活用方策の研究を目的とする学術団体です。また九州伝承遺産ネットワークは同じく産業遺産ををはじめとした遺産の継承を目的に掲げた広域ネットワーク団体です。
 昨日の新聞報道によって三井鉱山の旧有明鉱跡地が貴社に売却されたことを知りました。御承知のように、有明鉱は三池炭鉱の中でも主力をなし、現地にはそれを象徴する竪坑櫓が今も立っています。櫓は大牟田・みやまのランドマークとして古くから市民に親しまれてきました。いまや櫓は大牟田・みやまの歴史を静かに物語る証人というだけでなく、地域の景観に溶け込んだ文化財とも言うべきものになっています。
 このたびの跡地売却によって、この櫓を含む景観が破壊され消滅してしまうことを小会は懸念しています。それは大牟田・みやま市民から景観とともに、炭都の歴史の記憶も消滅し、未来を考えるすべがなくなってしまうことにもなります。
 歴史的、文化的まちづくりの一環として、櫓を含む景観を何とか保存する方途を考えて頂けないものでしょうか。それは社会的にも極めて意義のあることと存じます。産業遺産を生かした街づくりは全国各地で進められていますし、中でも大牟田市周辺は有力先進地のひとつです。
 有明坑跡地と、その景観に寄せる市民の思いをご理解頂き、特に櫓はスクラップ化することなく、保存活用への道を開くことを御一考下さるよう、緊急に要望するものです。
                                           敬具